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自立の本質を考える〜脳性麻痺の小児科医の言葉から〜

先日こんな言葉と出会いました。


「自立は依存先を増やすこと。希望は、絶望を分かち合うこと。」


脳性麻痺の障害を持ちながらも小児科医として活躍される熊谷晋一郎さんの言葉です。


わたしがこの言葉にどうやって出会ったかと言うと、土門蘭さんの「死ぬまで生きる日記」というエッセイを年始に読んでいたところ、その文章の中に先の言葉が記述されていました。


自立と依存っていうのが相反する言葉なので、パッと見どういう意味なんだろうって興味を持ちました。


そこで、インターネットを使ってこの言葉を調べてみると、あるネット記事が見つかりました。


www.tokyo-jinken.or.jp


その記事を読んでみると以下のようなことが書いてありました。

健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされていて、その便利さに依存していることを忘れているわけです。
実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。


これを読んで、2児の父でもあるわたしは真っ先に「子どもとの関係性もそうだな」と思いました。


例えば、子どもに「お買い物行ってきて」って言うふうにお願いするとします。


けれど、子どもたちはどうやってお買い物したらいいかわからないので、「パパママ手伝って」って言うふうになると思います。


これは世間一般的に見たら自立していないから1人でお買い物できないって言うふうに捉えられるかもしれません。


じゃあ大人は1人で買い物できるから、何も依存してないといえるかっていうと、そうではないかなって思います。


例えば、買い物場所のお店を調べるためにスマホで検索したり、お店まで移動するために電車に乗ったり、またお店でも商品の場所を店員さんに聞いてみたりと。


いろんなもの・人に依存してるって思いませんか?

自立と依存

そう考えると、自立っていうのは熊谷さんが仰るように、何かに依存しないって言うことではなくて、依存先を増やして上手に使いこなすことで、あたかも何にも依存していないように見えるっていう状態のことなのかなぁと思います。


そしてこれって、仕事をする上でも一緒じゃないかなと思っていて


例えば新卒育成とかを担当している時、やっぱり「新卒に早く自立して欲しいな」って言うふうに思いますね。


でもそれって新卒が、誰にも頼らずに1人で仕事できるようにって言う意味ではなく、むしろ逆で、会社内で頼れる人。つまりはネットワークっていうのどんどん広げてもらって依存先を増やしてもらうことじゃないかなと思います。


だから、新卒育成の時(新卒に限らずですが)、重要なのは「誰かに頼らずとも仕事が出来るようになって」みたいな感覚で接するのではなくて、


むしろ誰かに助けてもらう方法だったり、何かの案件で困ったときは 何を使ってどのように調べればいいのか、つまりはどのように依存したらいいのかっていうのを教えてあげることが自立につながるんではないかなと思います。


結局は人と人との関係なので、自分1人で解決できるっていう事は少なくて、誰かと協力して応援しあえるネットワークっていうのどんどん広げていくっていうことが本当の意味での自立した大人。自立したビジネスマン。なんじゃないかなぁって考えます。